すーのつれづれ

すーが日々思ったことを綴っていきます。

息子からの嬉しい言葉

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午前中、仕事へ向かうときに見つけた「光るトライアングル」思わず心が小躍りした。

今日、びじゅチューンの曲を片耳イヤホンで聴きながら口ずさみ、夕飯を作っていたら、すぐそばの階段下の小部屋で遊んでいた息子が、急に

 

「ぼく、ママのところに生まれてきてよかったなぁ」と言った。

 

「だって、ママは面白いし、優しいし、叱ってくれるから僕は学べるし。」

 

「だから、ママ、僕を産んでくれてありがとう😊」と。

 

なんだ、今日は何の日だ。
死期でも迫っているのかと焦るくらい、突然始まった愛と感謝の言葉に、ちょっとビックリした。
ゆっくりと色々思い出しながら言葉を紡ぐ様子に、思わずキュンと心を打たれた。

 

叱ってくれるから僕は学べるし、というくだりは、先日のキヨセdeフェスタでのタロット体験で、
生きる意味を探す子ども、と息子を表すカードが出たのを思い出さずにはいられなかった。
思えば私の血筋か、と思う。苦笑。

 

私はちょっと考えるポイントが違う子どもだったようで、なかなか同年代には私の疑問は理解されなかった。自分の思うことを理解してもらいやすいように相手に伝えることは、簡単なようでとても難しいことだと分かるまでには、ずいぶんと時間がかかった気がする。今でもうまく説明できないことも多い気がする。

 

それにしても、冒頭の言葉たちが、ほんの12時間前にギャーギャーグズグズしていた息子から出たとは思えない。苦笑。

叱ってくれるから学べるし、そんな言葉をどこから得たのだろうか。ふしぎだ。

 

この人も生きるのが不器用な人なんだなぁと思った。

 

自分がして欲しかった「ゆっくり話を聞いて、興味を持ってもらいたい」を、する側になって初めて、小さい頃に家族に言われていた言葉を思い出して、少し気持ちが分かるのが切ない。でも少しずつ意識したいと思う。

小さい頃にしてほしかったことを、子どもにしてあげるとよい。
と、聞いたことがあるが、容易いようで難しくもある。

でも、余裕があるときは、あ、ここは丁寧に受け取ろうとか、改めて「ありがとう」と言おうとか、「それいいね」と受け入れるとか、少しはできるようになった気がする。

そう、そんなふうに子どもたちに返せたときは、驚くほど子どもたちも素直で、とても嬉しそうにするのが印象的だ。

イライラでガミガミかあさんになりやすい私だけれど、子どもたちからの思わぬギフトを受け取れる余裕はもっていたいなぁと思う。

感覚を共有できることがどんなに嬉しいことか。

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繊細な形状にやられます

感覚を共有できることが、どんなに嬉しいことか。

久しぶりに、思いました。
そしたら、久しぶりにこのブログを思い出しました。
書くなら、あ、ブログか、と。

もうすっかり1年以上も放置してしまっていたとは、、、
自分の余裕の無さが伺えます。

私は自分が思ったこと、感じたことを言葉にすることが苦手です。
小さい頃から、すーちゃんて何言ってるかわかんなくておもしろーい、とか言われてました。苦笑。
これにはいろんな感情が渦巻きますが、この話は置いておいて。笑。

20年以上、そうだったから、感覚で喋れる人なんていないんだと思っていた。
だからこそ、写真で表現せねば、と、思い込みすぎていたときもあった。

それが、あのひとだけは違った。
初めて、感覚で喋ったのに、その世界にふわっと寄り添ってくれた。
とても驚いた。

ずっと孤独だった世界に、そのひとが寄り添ってくれたことで、
私はひとりじゃないんだ、このひとが居れば何も怖くない、
恥ずかしながら、そこまで強く感じたことに、自分が一番驚いた。笑。

でも、人間はそんなにシンプルじゃない。
私の求める部分、相手の求める部分。
私が求められると辛い部分、相手は求められたら辛い部分。
そういうものがだんだんと見えてきて、、、
一緒にいることが辛くなってしまった。

一線を越えなければ、もっといろんなことを語り合えたのかな。
いや、一線を越えたからこそ、あの場所に踏み入れ続けることが出来たのだ。
あの包まれる位置には、そうでないと、入れてもらえなかっただろう。

あのひとの隣に立ち続けるには、常に表現と向き合い続けなければならなかった。
あの頃の私には、あのひとの立つ場所の近くで同等のものを求められるのは、プレッシャーが強すぎた。

表現に没頭したい自分と、
無難だけど家族を受け入れてもらえる環境の平凡な幸せの中に居たい自分とを、
切り離せなかった私は、苦しくなって離れてしまいました。

 

そこに後悔はないのだけど、ふと、さっき読んだ記事で感じたことを、話して面白い会話になりそうな人を思い浮かべたときに、悔しいかな、とても久々にそのひとのことを思い出しました。たぶん、間違いなく、あのひとは面白いから。私がうまく言葉を紡ぐことができなくても、端々で気持ちをひろいあげてくれて、それと同時にまた興味深いことをたくさん教えてくれるのだろうな、と。

あの頃には希望しても叶わなかっただろうけど、あのひとと今でも友人だったら良かったのになぁ、
なんて、しても仕方のない後悔をしています。

「田舎に帰って、トウモロコシの写真なんて送って来たら、許さないから。」

そのひとと離れるときに、言われた言葉です。

軽く冗談混じりに、でも本気でもある、なんとも絶妙なところを突いてくるもんだなと思ったのを覚えています。

何も頭で考えずに写真表現に没頭する日々を、また過ごしてみたいな、とぼんやり夢見つつ、素敵な感性の方は世の中にたくさんいらっしゃるけれど、それはそれとして、私は私である根幹の感覚、感性、これを見失わないようにしながら、生きていきたいもんだなぁ。

そう思いました。

茶店で景色を眺めながら、部屋でアニメーションを見ながら、バイクの後ろで桜ふぶきを浴びながら、いろんなことを感じることを楽しく過ごせたあの日々、、、

ほんと、ただ、あの頃みたいに、一緒に、喫茶店でおしゃべりしたいなぁ。

そんなのは私の勝手な都合と願望だと、勝手すぎると怒られそうだけど。笑。

解決するときは、あっという間。

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解決した跡地。

あんなに心の片隅にずっと気になりながらも放置してしまっていたことが、先日、あっさりと片付きました。苦笑。
 

半年以上放置状態だった壊れた自転車後ろ子乗せシートと自転車カゴ。

 

子乗せシートは義姉のところから頂いた10年以上前の金属製だったのを、夫が張り切ってリメイクしてくれて子どもも喜んで使っていたのだけど、やはり金属の劣化は避けられず、ある日、ボキッと折れた。。。子どもが降りたときに、あっ、と。乗ってるときでなくて本当によかった。。。
 
しかし、まだまだ使う必需品だったために、急いでリサイクルショップでここ最近よく見るタイプの後ろ子乗せシートをゲットし、それを取り付けて、、、と必要なものは使うまでの時間に追われるので迅速対応できますが、ついつい古いものの処理が後回しに。。。

半年どころじゃないかも。1年までは経ってない気がするけど、それに近いかも。


断捨離スイッチが軽く入っている今、そうだ、粗大ゴミ!申し込まなきゃ!と思っていました。そして、午前中に電話して、聞いたら、

「そのサイズだと不燃ゴミの袋に3分の1くらい入らないですか?」と担当者の方に言われて、

あれ?たしかそれは思って、前にやってみたけど入らなかったような記憶もあるが、、、と思いつつ、試してみますと電話を切って、やってみたら、、、なんとか入った。笑。

1つは袋が破れないか慎重にのばしながら。苦笑。

なんだろう、前はそこまでしてもいいのかどうかが不安だった。
ゴミのマニュアルには「長尺ものは3分の1まで入れば可」との記載だったから、傘とかだけの特別対応なのだと思っていたから、強気に押し込んだりはしてみてなかったのかも。

そして、その日はまさかの不燃ゴミの日!

え?これ、今ここに出したら、もうすっきりしちゃうの?!
そんなスピーディーな展開ってある?!

と1人興奮しながら、収集車の来る音を気にしつつ、家でやることに黙々と立ち向かう。

これで持って行ってもらえなかったら、ちょっと笑えないので、収集車の来たタイミングでさりげなく掃き掃除がてら、作業員の方に挨拶する。

無事、収集車にインされて、ほっ。笑。

そして、思い立ってから1時間もしない間に、ずっと置き去りにされていた場所がすっかり空いたことに思いを馳せました。


コンクリートの色が結構変わっているので、思えば長期放置だったことに気づきました。

それにしても、ほんと、タイミングとか、気持ちのこととか、いろんなものが解決するときって、本当に気持ちよく色々良い方向へ重なっていくような気がします。

気持ちはあっても、なかなか物事が進まない。
そんなときは、やっぱり今じゃないのかもしれない、と思って諦めて他の策を講じることもひとつ。

やっぱりタイミングってあるんだなぁと改めて思いました。

不思議と、気になっていた場所が整理できたり、空間が空いたりすると、そこを見るだけで心が落ち着いたり、やる気が湧いてきたりします。

物がたまるときは、自分のいろんな想いがたまっているとき。
以前、衝撃的にハマった「そうじ力」という本、久々にめくってみようかな。笑。

よし、また少しずつ歩んでみよう。
そう思えた出来事です。

見えないからこそ見たい心理。

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この樹の皮の模様に目と心を奪われました

この樹の模様に気づいた瞬間、いろんな想いや記憶が蘇ってきました。

写真を意識して撮り始めた中学生の頃、よく木を見つけては、この角度から眺めて、撮って、あーじゃないこーじゃない、と思っていたっけなぁ。


ここまでの模様は見たことが記憶にないので、これはとても新鮮でした。

こだまたちがいたとしたら、ここを迷路みたいにぐるぐる模様に沿って走りながら追いかけっこしたりするんだろうか。とか。笑。

「こだま」というのは、ジブリ映画「もののけ姫」に出てくる精霊。木霊。

もののけ姫を映画館で見たのは高校生のとき。まだバスケ部と写真部をかけもちしていた高1の頃だったような気がする。笑。

学校終わりの夕方の回を友人と見に行って、2人とも感化されて、ふわふわと、映画館から駅までの道のりを、「あ、あそこならこだまいそうじゃない?」「うんうん」とふわふわしながら会話して、すごく楽しかったのをよく覚えている。笑。

2人とも映画で号泣し、すっかり作品世界に入り込み、そんな会話をして、楽しかったなぁ。


私はどうも霊的なものとやらは見えないそうで、たしかに全く見えたことがない。

でも、こわがっていた。のに、以前職場に居た霊感が強いという人に「あなたはびっくりするくらい霊感が全くない。」と言われ、複雑な気持ちになったことを覚えている。苦笑。

あんなにこわがっていたのに、見えるわけなかったのか、と。

まぁ、見えないことのほうが幸せなんだと説明されて、たしかに、と思う。

それは、守られているから、と説明され、さらに見えない守ってくれているらしい存在へ、見えないけど、ありがとうと思う。笑。



でも、こういった精霊は、見てみたいなぁ、と思う。

きっと見えたら見えたで気になるから、大変なんだとは思うんだけども。

でも、見えないものは感じられるような気がしている。



人の想いとか、まとっている空気、とか、そういう感じで。



息子が幼稚園で書いたという七夕のお願い、

「みんなが びょうきに なりませんように」

だった。

衝撃すぎた。

だって、だいたい毎年多くが将来の夢のようなことを書いているから。

うちの子、どんなだ!

と思っていたら、まわりの子とそういう話になったんだそうだ。


へぇ、と思って居たら、よくよく聞いたら、どうも今病気でおやすみしてる子が多いらしい。それで、そういう話の流れになったのかな、と解釈。

それにしても、なんと慈愛に満ちたお願いなんだ。


そして、おうちに持って帰って来たお願いは、

「みんなと なかよく あそべるように」

だった。

 

なんだか、びっくりしました。

始めたスポーツの影響なのか、やけにみんなとを意識するようになったんだなぁと、成長を感じました。


お願い事、昔はすんなり出て来て居たのに、今は何を書けばいいんだろう、と思います。


今、難しく考えずに、すっと浮かぶのは、

「こどもたちと わらいあいながら たのしく あそびたい」

でした。笑。

なんだろう、ここのところ、ついつい怒りすぎる、というのが増えているからかなぁ。



今思い浮かぶ遊びを、明日か明後日、明々後日くらいまでに、いっしょにやろーと言えるタイミング、作りたいと思います。

そんな気持ちが伝わって、笑いあって、自分をゆるませたいなぁ。

スッキリとした気持ちを思い出させてくれた、この樹に感謝です♡笑。


あぁ、木とか花とか、見に行きたい。。。

ひとつのことしかできない不器用さ。

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娘を迎えに行く途中、道端でひろった素敵なギフト♡

30何年間、私はこの私で生きてきたわけですが、、、われながら自分の不器用さに泣けたり、笑えたり、する日々をときどき送ります。苦笑。

今朝、のんびりしながらの日曜、あさごはんの支度をしながら、工作に励む子どもたちに呼ばれ、はいはいと見に行っていたら、、、ん?あ!トースト焼きすぎた!と思った矢先に「シューッ」とコンロから音が!、、、鍋から牛乳溢れ出てる!、、、はぁ、、、やっちまった、、、いけるかなと思ったけど、やっぱり1つずつにするべきだった。苦笑。

これ、昼にもやりました。苦笑。

冷やしラーメン茹でながら、モロヘイヤを茹でる。モロヘイヤも少量だったからいけると思ったんです。。。茹でることは時間差にしたので、できたんです。。。モロヘイヤは茹で終わってザルにあげて、ボウルの中に入れて水を張って、、、と思ったら、「ピピッ」とタイマー鳴ったので、ラーメンの鍋を見に、、、行ったら、あ!モロヘイヤが水流に乗ってザルからあふれてボウルからも流れ出ちゃう!、、、なんとかギリギリ間に合いましたが、ドッタバタ。苦笑。

まぁ、案の定、キュウリやトマトを切るのは、それからで、となると、大して時短にもなってる気がしない。苦笑。


なんでだろう。
私の夫は、時短できる人、料理を同時進行で進めたりできる人、お互い「なんでそうなるんだろう」という関係性。笑。

夫から見れば「なんでそこを同時にできないの?それやってる間にこっちやればいいんだよ。」

私から見れば「なんであんなにいろんな動きを同時にできるんだろう。頭がこんがらがりそう。」


不思議。

ほんとね、私は、いつからか気づいた。
私はまわりのみんなと同じことをするためには、倍の時間が必要なんだ、と。

だから、みんなと同じことを同じ速度で同じクオリティでやろうとすると、すごくストレスがかかる。苦笑。

そう考えると、生きている時間が半分に感じて、寝てる時間がもったいない、と本気で思っていた。高3のとき、どんな未来が欲しいか、とか、近い将来あったらいいなと思うものは何か、みたいなことをみんなで考える時間があった。なんの授業だったのか、今では不思議だけれど。笑。

私は即答で「実際の睡眠時間1時間で、8時間分の休息を取ることが可能なカプセル!」と書いていたのをよく覚えている。そのときの先生には、「おぉ〜、それはあったらいいねぇ〜。」とさらっと言われたのを覚えていて、「なぜだ、こんなの本気で思うことだろうが!」くらいに熱く思っていたように思う。笑。


実際、高3の頃は、かなり生き急いでいた頃だったように思う。
いろいろ良い方向に進んでいたように見えた私は、祖母に「おまえは恵まれすぎている。そのうち痛い目にあう。だからもっと感謝するべきだ。」そのようなことをいっつも言われていた。

短絡的な私は、なぜかそれを言われ続けたことにより、「そうか、私はすごく恵まれているんだ。だから長く生きられないのか。」と脳内解釈を勝手にしていて、20才で死ぬと思っていた。苦笑。

だからこそ、生きること、学ぶこと、いろんなことに必死だった。

ずっとそう思い続けて日々を過ごしたわけではなくて、のんびりしてるときももちろんあったのだけれど、心の底ではそう思っているので、いろいろとやらなくてもよかったことも焦ってすぐ行動に移してしまい、空回りすることも多かったように思う。

いつだったか、ここ数年の間に、色々学んだときに、ふと、これ、無意識下では、どうやら「そのままでは認めてもらえない状態」だと感じていたんじゃないか、ということに気づいて、それがずっと続くなんてそりゃ悲しかったよなぁ、とひとり泣いた記憶があります。



「そのままでいいよ」ということが、どれだけ何歳になっても嬉しいことであるか、子育てを始めて、自分の心の葛藤と向き合い、視点を変えて、見つめて、やっと気づけて、まだまだ実践中です。


冷静に考えれば、いいことが続けば、辛い時代も来る、と考えるのがバランスな気もするのだけれど、なんでなんだろうなぁ、その頃はそういったことに全く思いつかず、思い込みはこわいもので、そう思っていて、しかも「写真がなければ私は生きていけない」とかも同時に思っていたので、色々あって19才のときに写真から思い切って離れたときに、写真がなくても息ができてる、写真がなくても人と話ができてる、あれ、あたし写真がなくても生きていけるんだ、と知ったときに、ものすごく開放感を感じ、同時に寂しさもこみ上げた。

そして20才になる前、祖父が死んで、たくさんの方が弔問に訪れるのを見て、「なぜこんなに必要とされている祖父が死に、何の役にも立たない私が生き残るのか。」と不思議でならなかった。まぁ、それは直前の病床の祖父に急に手をつかまれて言われた言葉が「すみこ、お前は何の役にも立たないから、、、」だったからだとは思うのだけれど。苦笑。

まぁ、それもそのときはあまりのショックで、祖父がそこまで言ったところでそれ以上聞きたくなくて私から手を離して病室を出てしまったからで。その先を聞く機会なく、祖父が旅立ってしまったことで余計にこじれてしまった想いなわけで。。。


後から、祖母や母、叔母、まわりの人たちの解釈も聞くことで、少しずつ、わかったことがありました。

祖父は昔堅気な人で、弱ったところを娘にすら見られたくないと思っていたそうで、かといって祖母だけに世話させられる状況じゃなかったから、娘たちだけには仕方なく許したけれど、かわいい孫たちにはそんな姿は見せたくなかったから、私が祖母の補助的な意味合いで病室に来ていたことがいやだったからだったろう。とのことでした。特に内孫の一番下の私には。

抗がん剤治療でときどき幻覚や幻聴も出ていた祖父。最後の方は、病室で急に笑い出して見えないものが見えていたこともあり、かと思えば真面目に「そこのカーテンを閉めてくれ。」とカーテンも窓もない方向を見て言うこともありました。

あまり弱いところを見せたことのなかった祖父の衰えていく様に、対応するのが私も辛かった。そんな矢先だったから、どうしていいかわからなかった。


「すみこ、お前は何の役にも立たないから、」、、、きっとその続きは「これ以上、病室に居ないでくれ、おばあちゃんを呼んできてくれ、もうこれ以上弱った姿を見られたくないんだ。」という、祖父のプライドから出た言葉で、祖父もそれだけ余裕がなかったんだろう、と思えるようになりました。


そんな祖父ですが、実は私が写真の勉強をしたいと進路を希望していた際に、あんなに高校時代の写真を撮る私に対してわりと否定的でバカにする発言が多かった祖父が、実は父がオッケーしなかったときは自分が援助する、と言ってくれていたということ。祖父の死後、祖母に聞きました。絶対すみこには言うなと言われていたそうです。しかし、あまりにも自分の生きる価値を見失っている孫を目にして、祖母も「もう話してもいいよねと思ってね、、、実はね、、、」と話してくれました。

祖父もまた不器用で、私には直接ほめるようなことは全く言わないくせに、誰かが家に訪ねてくると、玄関に飾ってある全国大会で受賞した私の写真を見せながら、「おれにはよくわからないんだが、孫が撮った写真が賞を取ったんだ。」とよく自慢していたそうです。

ひねくれていた私は、その祖父の姿を1〜2度見た際に、人前で言えるような目に見えた結果さえありゃいいんだろ、結局は優等生要素みたいなものがなけりゃ意味ねえって腹の底で思ってんだろ、と、そう思っていました。苦笑。

それも、今思うと、認めてもらえない寂しさであふれていた裏返しの反抗だったのかもしれない、と思います。自分であの頃の自分を分析。笑。

亡くなってしまった今では、確認のしようもないので、あとはもう私がいいように考えて、捉えて、ときどき実家の仏壇に手を合わせながら「おじいちゃん、あたし今必要とされてるよ。大丈夫。役に立ててるよ。見てくれてる?」と心の中でつぶやいています。笑。


書きながら、思わぬ方向へヒートアップしてしまいましたが、不器用な部分があるのも事実。でもそれも一長一短、逆に1つのことに集中できる、という側面も持っています。たぶん。笑。

何をするにも時間がかかるのはたしかですが、そんな自分をときに楽しみながら、呆れながら、日々、欲張りすぎずに生きること。これからも心がけて楽しみながら生きていこうとおもっています。

つきものがとれる感覚。

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タネニハの芝生エリア。

どうにも気分が上がらない、どうにも思考が思うように動かない、そんなときがあります。

首か、肩か、目か、なんだ、どこがどうなってる。

そんなときは、自分でもどうにもならないときだったりするので、どなたかの手を借りに行きます。

とはいっても、私もやっとそれを自分にしっかり許せるようになったばかりな気がします。

どうしても、自分の不調は後回し。
子どものこと、家庭のこと、ついついそれを優先し、自分のことは後回し。

でも、必ず無理がたたって、どうにもいかなくなる。


ここのところ、行きたいイベントにことごとく行けず、子どもの行事や家庭内の色々な流れなどから、行きたくても行けない状況になりやすい日々を送っていました。

しかし、今回は少しでもいいから1人で行きたい!と思い立ち、「ひばりテトテ市」というイベントでリラクゼーションを思いきって2つ受けてきました。

ひとつはハブスポ第1期でご一緒させて頂いた「アスリー」さんのフェイシャル♡
もうひとつは、Sanaさんのヘッドマッサージ♡

このふたつを最終枠で滑り込んで予約し、予約時間まで物販を楽しんでから2つ受けたら、肌が明るくなり、やわらかくなり、頭から肩にかけてついていた何かがとれた。笑。

なんか軽い。この感覚、いいもんだなぁ♡と実感しました。

知らず知らずに溜まるいろんなもの。苦笑。

溜めやすいタイプだと自覚していても、思考が滞ってくるとなかなか自分に許してあげられない。


でも大事ですね。軽くなることを自分に許すって。


思うようにいかないことも多いけれど、毎日の中に、ちょっとした子どもとの他愛ない会話、そこからただ笑い合う瞬間、きれいな花や景色に心動くこと、そういったことがあることに感謝しよう。そんなふうに思えた今日この頃です。

さっき、画像どれにしようかなと画像をスクロールしていたら、3年くらい前の子どもたちの一瞬たちが出て来て、その幼さと、行動の意味の無さと、その可愛さに、笑えて涙が出ました。

明日は今日よりも少し優しくしてあげたいなぁ。そんなふうに思えた今です。


一度、つきものがとれる感覚を味わうと、それを意識して、そこにまた戻ろうとできるので、疲れをためないようにできる気がしています。

明日は、私がそのお手伝いをする番。

そう思うと、明日の出会いにわくわくしてきます。日々は、そうやって、まわっているのかもしれない。

どこかで助けてもらったことで、どこかで誰かの助けになれるかもしれない。

そんなふうに、小さな想いがつながっていくといいなと思っています。

娘が、さっき、寝ながらケラケラと笑っていました。
楽しい夢でも見られたのかな。
それならよかった。

私も楽しい夢が見られたらいいな。
まぶたが閉じ始めたので、ここらで。ではまた♡

生き物は思うようにはいかない。

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わがやのお花たち。左奥、上部にチョウチョが写ってくれました♡

生き物は思うようにはいかない。
思いがけない落胆、悲しみ、辛さ、泣いてしまうときもあるけれど、、、。
 
だからこそふとした感動や喜びや気づきがあるんだろうなぁと思いました。

予想だにしなかった今春の展開に、頭と心が色々追いつかない日々を過ごしていて、ふとした合間に、わがやのお花たちにお水をあげたり、整えたり、陽だまりで少しだけぼーっとしていました。
 
気づくと、アゲハチョウと思われるチョウチョがひらひらと我が家のお花たちの周りを飛んでいて、それだけでも嬉しくて、お花にとまったので、あ、と思って撮ったら、途中で飛んじゃった。だめだったかなぁと思いながら画像確認したら、はじっこに写ってくれてた♡
 
それだけで、ちょっとじんわりきたりして♡笑。
 
思いがけないギフトって、きっとそこら中に溢れてる。
それに気づけた分だけ心は豊かになるような気がしてる。
たぶん、それはいつだって、ちょっと立ち止まれば、見えるのかもしれない。


本当は今朝、遅刻してママと一緒に教室まで行きたいモードの娘に、自分も予定が色々と詰まっていたこともあり、苛立っていました。一回だけ強くこちらの想いを言ってしまったけれど、落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせて、気を取り直して、時間を確認、大丈夫、ゆっくり教室まで送って来ても間に合う。そう心を整えて、娘と手をつなぎながら、途中あいあい傘もしながら、学校まで向かいました。

無事に送り届けてから、ふぅと息をついて、校庭を歩いて門へ向かっていたら、端っこに咲いていたパンジーが、キラキラと水滴を輝かせているではないですか♡

なんて素敵なギフトなんだろう♡と早速撮ろうとしたら、スマホが「容量オーバーで撮影できません」と言う。泣。必死にいくつか画像を消す。でもまだ無理と言われる。泣。再度消す。それでも無理とのこと。気づいたら、パパが早めに出発すると言ってた時間が迫る!泣。

仕方ない。やっぱり早くスマホを新しくしよう、と心に決めて、その美しいフォルムを目と心に焼き付けて、小走りに家に戻りました。苦笑。

玄関前で待っていたパパとバトンタッチ。
ふぅ、ギリギリセーフ!と思って、家に入ると、心細そうにしていた息子が。。。聞くと、「パパは何も言わずに外に出て行っちゃったから、ぼくひとりぼっちになっちゃったと思った。」とのこと。「ごめんごめん!そうだったのね。でもパパは玄関の前でママの帰りを待ってただけだったんだよ。今いそいでバトンタッチしたの。だから、ひとりぼっちにして家を離れちゃったわけじゃないんだよ。だいすきだよ。」と伝えながら、ギューっと抱きしめました。
 
子どもの心は本当に細やかで、大事なことを思い出させてくれます。


自分も思い起こせば小学校1年生前後の頃、印象に残ってることがあります。ある日、夕方から夜になった頃、気づくとお母さんが家にいなかった。農家でじいちゃんばあちゃんも住んでたから家族構成は多かったので、誰もいないとかなわけじゃないのに、そのときの私はすごく動揺していました。どうしよう、お母さんがいなくなっちゃった。どうしよう、この先、私はどうしたらいいんだろう。なんでみんなそんな平気な顔しているんだろう。とんでもない事態が起きてるのに!!!くらいの必死な状況だったと記憶してます。私の心の中だけは。苦笑。

今でも、あのときなんであんなに必死だったんだろうかと不思議なのですが、何か感じるところがあったのかもしれません。私の心はザワつきまくっていました。笑。

すぐさまおばあちゃんに母の所在を確認すると、歩いて2分くらいの場所にある親戚の家で、おじちゃんが望遠鏡を持ってるとかで、母が星を見に行かせてもらってるとのこと。すぐ帰ってくるよ、と言われたけれど、私はそれすら信じられず、何を言ってるんだ、そのままどこかへいなくなってしまったらどうしてくれるんだ!ぐらいに思って、その距離を必死に走って向かいました!

親戚の家に着くと、その庭で、望遠鏡を覗き込みながら笑って楽しそうにしている母とおじちゃんが居ました。あ、ほんとだ、ほんとに星を見てるだけだ。と思いながら、走った勢いで母に抱きつきました。母は驚きながら、「どうしたの?あぁ、ごめんね、お母さんだけ見に来ちゃった。」とか言ってた気がします。笑。

私は、そのときの母の立場になり、思いがけない想いを抱える子どもに同じように驚く日々となりました。すごいなぁと思います。あの頃は「どれだけ私にとってお母さんの存在が大事で、大きなものだと思ってるんだ!」と、母に対してときに怒ったりもしていた気がします。苦笑。

それを今、受け止める側になっていたことに気づきました。


息子がどれだけ心細かったろうか、と思う。
何分くらいだったのだろうか、と思う。
それをどのくらい長い時間だと感じていたんだろうか、と思う。

ちいさなからだで、そのこころで、感じることはどれだけおおきいものだろうか、と思う。

まだまだちいさな範囲の世界で生きているこどもたち。
それをどこまで受け止めて、まだまだ世界はひろいんだと、どこまで伝え続けられるだろうか。


本当に、びっくりするくらい、子どもたちは、だいすきだと毎日伝えてくれます。

ことばで、おりがみで、ブロック作品で、おてがみで、絵で、ただギューっとすることで、甘えることで。

全身で、全霊で、毎日それを伝えてくれる人って、ほんとうに大事な人だなぁと思います。


今まで、未来を信じられなくなることもありました。
人を信じられなくなることもありました。
なんで私が生き続けているんだろうか、と意味を感じられなくなることもありました。

そんな私が、こんなにも毎日必要とされている、それだけで、なんと幸せなことなんだろうか、と思います。


あぁ、久々に夜中って、気持ちが高ぶりやすいものだなぁと実感しています。笑。


思うようにいかないことばかりだけれど、思いがけないこともたくさんあって、よし、また明日の空の色を楽しみにしてみよう、そう思えます。


今朝の水滴を身にまとったパンジーは、本当に繊細な輝きを放っていました。
白い花びらはレースのような繊細な印象を放ちながら、ゆるやかな曲線を帯びた薄いドレス生地のようで、そこにはキラキラと無数の水滴が輝き、本当に美しかった。濃い紫も、黄色も、ほかの色も美しかった。

その中でも、やはり白い花びらが纏う水滴が、その姿が、とっても美しかった。

あぁ、そうだ、私の大好きな季節が近づいている。そう思いました。


今年の梅雨には、久々に一眼レフで草花にまとった水滴を撮影しようかな。
洗濯物とか送り迎えの移動とか、大変な時期にはなるけれど、ひとつ楽しみができました♡笑。

さ、明日は何からパワーをもらおうかな♫