見えないからこそ見たい心理。
この樹の模様に気づいた瞬間、いろんな想いや記憶が蘇ってきました。
写真を意識して撮り始めた中学生の頃、よく木を見つけては、この角度から眺めて、撮って、あーじゃないこーじゃない、と思っていたっけなぁ。
ここまでの模様は見たことが記憶にないので、これはとても新鮮でした。
こだまたちがいたとしたら、ここを迷路みたいにぐるぐる模様に沿って走りながら追いかけっこしたりするんだろうか。とか。笑。
「こだま」というのは、ジブリ映画「もののけ姫」に出てくる精霊。木霊。
もののけ姫を映画館で見たのは高校生のとき。まだバスケ部と写真部をかけもちしていた高1の頃だったような気がする。笑。
学校終わりの夕方の回を友人と見に行って、2人とも感化されて、ふわふわと、映画館から駅までの道のりを、「あ、あそこならこだまいそうじゃない?」「うんうん」とふわふわしながら会話して、すごく楽しかったのをよく覚えている。笑。
2人とも映画で号泣し、すっかり作品世界に入り込み、そんな会話をして、楽しかったなぁ。
私はどうも霊的なものとやらは見えないそうで、たしかに全く見えたことがない。
でも、こわがっていた。のに、以前職場に居た霊感が強いという人に「あなたはびっくりするくらい霊感が全くない。」と言われ、複雑な気持ちになったことを覚えている。苦笑。
あんなにこわがっていたのに、見えるわけなかったのか、と。
まぁ、見えないことのほうが幸せなんだと説明されて、たしかに、と思う。
それは、守られているから、と説明され、さらに見えない守ってくれているらしい存在へ、見えないけど、ありがとうと思う。笑。
でも、こういった精霊は、見てみたいなぁ、と思う。
きっと見えたら見えたで気になるから、大変なんだとは思うんだけども。
でも、見えないものは感じられるような気がしている。
人の想いとか、まとっている空気、とか、そういう感じで。
息子が幼稚園で書いたという七夕のお願い、
「みんなが びょうきに なりませんように」
だった。
衝撃すぎた。
だって、だいたい毎年多くが将来の夢のようなことを書いているから。
うちの子、どんなだ!
と思っていたら、まわりの子とそういう話になったんだそうだ。
へぇ、と思って居たら、よくよく聞いたら、どうも今病気でおやすみしてる子が多いらしい。それで、そういう話の流れになったのかな、と解釈。
それにしても、なんと慈愛に満ちたお願いなんだ。
そして、おうちに持って帰って来たお願いは、
「みんなと なかよく あそべるように」
だった。
なんだか、びっくりしました。
始めたスポーツの影響なのか、やけにみんなとを意識するようになったんだなぁと、成長を感じました。
お願い事、昔はすんなり出て来て居たのに、今は何を書けばいいんだろう、と思います。
今、難しく考えずに、すっと浮かぶのは、
「こどもたちと わらいあいながら たのしく あそびたい」
でした。笑。
なんだろう、ここのところ、ついつい怒りすぎる、というのが増えているからかなぁ。
今思い浮かぶ遊びを、明日か明後日、明々後日くらいまでに、いっしょにやろーと言えるタイミング、作りたいと思います。
そんな気持ちが伝わって、笑いあって、自分をゆるませたいなぁ。
スッキリとした気持ちを思い出させてくれた、この樹に感謝です♡笑。
あぁ、木とか花とか、見に行きたい。。。