すーのつれづれ

すーが日々思ったことを綴っていきます。

実はずっと思っていること。

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キラキラした光。

今月上旬、知人の作家さんが参加されている展示会を見に、日本橋へ行きました。

ギャラリーへ足を運ぶ、いろんな方の作品を目にする、これってとても楽しい。

心がキラキラする。表現の方法って色々あっていいんだ、そう思える、とても楽しい。

私はこういう機会が大好きらしい。笑。

そしてギャラリーの地下にはショップもあったので、それまた楽しい発見と出会いが♡

大きな美術館になるとギャラリーショップなどもあったりして、そこがまたかなり面白かったりする。笑。ほんと面白いこと考えつく人って、いるもんですねぇ♡あぁ、楽しい。笑。


早咲きの桜が色濃くて、ギャラリーの建物に映えて、このほっこりした太陽のきらめきも相まって、よりいっそうキラキラして見えました。笑。


最近、また改めて思ったことがあります。

いや、思い出した、に近いのかな。

最近植物に触れる機会が多いこともあるのか、いや、結構長いこと書きたくてしょうがなかったことなんですが、

植物には、たくさんの造形の美しさが存在している、

そう強く感じられてなりません。

学生のときに、初めてカール・ブロスフェルトという写真家の作品を見たとき、うわぁ、こんなにまっすぐに植物の造形美に向き合ってた人がいたのか!もう真骨頂だ!と驚いたのと同時にとても嬉しかったことを覚えています。

でも本当に思う。植物にあらゆるデザインがあるというか、曲線や直線や、質感、配置やバランス、そういったものが、美しいものが、たくさん、存在している。

道端に咲く名の知らぬ花にも、それは感じられる。

色もそう。この色のバランスは、なんと美しい比率であることか!みたいなものを思わせる植物に出会うと、敵わない!と思う。笑。

実は、体の部分部分にもそういうことが言えると思っていて、一人一人の顔のパーツですら、よくよく見ると、人間て本当によくできているな、と感じるくらい、まじまじと見つめてみると、思わぬ曲線や直線や配置の美しさを発見できるときがある。

それぞれ何かしらコンプレックスがあったりもするんだけども、もうひとつひとつのパーツごとで見つめていくと、、、突き当たるのはその形が持つ美しさだったりする。


なんだか本当にふわんとした漠然とした言い方で終わってしまいそうですが、そう思います。笑。

なんか思っていたよりも、終着点がはっきりしてないのが悔やまれますが、ふとしたところに、美しいものって存在する気がする、少なくとも私のまわりにはそんな感じで存在しています。

春は花がどんどん咲いていく時期なので、ちょっとしたお散歩も、ちょっとした道草も、視点を変えたら新たな発見につながって、いつもよりちょっと楽しくなるかもしれないですね♡

自分をこわがらずに解放するということ

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自分をこわがらずに解放するということ。

これは、自分が何才になっても、躊躇してしまっていることです。

私は小さい頃から、周りの友人や大人たちにも、変わってるねと、よく言われてました。

でも私には私が普通であって、何が変わってると言われるのか、よくわからなかった。

そういうことに言われ慣れて、自分をそのまま良しと受け入れられることはないんだとどこかで思っていました。

そのままではダメで、ある基準をクリアしないと、その評価にも入れてもらえない。

苦しかったろうなぁって思います。苦笑。

今思えば、いつ頃からだったか、人は自分の理解を超えるものに出会ったとき「変わってる」という分類にすることでやり過ごすところがあるんじゃないかなと思うようになりました。自分も含めて、ですが。そうじゃないと、心や頭がついていかないんじゃないかな、と。


この年末年始、実は、みつはしあきこさんというコーチングをされている方の講座やワークを受けられる機会に恵まれて、自分の中のいろんなものが浮き彫りに、そして、だだ漏れになりました。笑。

そのだだ漏れワークシートに、あっこさんがフィードバックをしてくださる、というお年玉特典に、ギリギリ間に合って、先日、頂きました♡。

子どもたちとオセロしたり家事したりの合間、合間に読み進めたのですが、、、途中、何度も大きな声をあげて笑ってしまいました。。。笑。

だって、まっすぐ刺さる言葉ばかりだったから♡そうですよね!あぁ〜、言われちゃった〜(笑)とか。それ、言われたかった言葉です!など、心の中で反芻してました♡

あまりにも、欲しい言葉のオンパレードだったので、あたし何を書いたんだったっけ、とワークシートを見返したら、まぁ、だだ漏れ。笑。あっはっは、こんなことまで書いてたんだっけ。笑。というくらい。

でも、そのワークシート、結構時間がかかっちゃんですが、楽しかった♡


これをきっかけに、大学受験の小論文を思い出しました。映し出される画像から、感じたことを書き綴る、というものでした。

そのときも、思うがままに書き綴った。冷静に考えれば、そこまで思い詰めなくてもいいわけなんですが、私はスイッチが入ると、イメージがどんどん先行していくところがあって、そのときも、画像に写るおばあちゃんがぐったりして自殺マシーンに手をかけている、このおばあちゃんの笑顔を見られるなら、私は何だってしてあげたい!と言い切るような文章を勢いのまま書き綴ったことを覚えています。

そのあとの面接では、先生方に冷静に「これは、スロットをしてるおばあさんなわけですが、あなたにはこの文章のように見えたのですか?」と言われ、「はい、そうです。その悲しみを思うと、いたたまれなくなりました。」とその後もベラベラ喋ったように記憶しています。苦笑。

半ば呆れたような、驚いたような表情の先生方を目の前に、私は喋り続けてました。笑。

その後、提出した作品集に対しての話も色々ありましたが、どうなることかと思ったら、無事合格したので、胸をなでおろしました。笑。


そう、私はこういうところがあるので、なかなか理解されにくかった。
だから、いつからだったか、私を理解してくれる人はいないもんだとどこかで思っていた。

それが、写真を通すと、感じたことが伝わることを知って、写真にのめり込んでいきました。

高校時代に、友人から言われて、すごく嬉しかった言葉があります。

「あなたの瞳でこの世界を見てみたい。」

びっくりしました。そんなふうに思ってもらえるなんて、考えもしなかったから。

彼女は、そのあとこう続けました。

「きっと今の私には見えていない素敵な景色が広がっているんだろうな。私の目には映らない素敵な世界を、あなたの瞳を通じて、私も見たい。」と。

彼女は、私が撮っていたスナップ写真をアルバムにして売ってくれと言いました。

ものすごく驚いたけど、嬉しくて、バイトしてた写真屋さんで店長が許してくれる時間を使って、色の調整をして少しこだわったカラー写真のL判でまとめた作品たちを、無印良品のフォトアルバムに入れて、タイトルを手書きで書いて、購入してもらいました。

今思うと、これが私の初写真集でした。

ちなみに、それを見た数人が私も欲しいと希望してくれて、3冊〜5冊くらい、作って買ってもらった覚えがあります。

なつかしい。

その友人たちは、今でもつながっています。なんか、言葉にできないものを感じることとか、説明できないものの素敵さを知っている人たちです。


そして、もうひとつ、思い出したのは、自分が生まれて初めて、本能的にいろんなものから解放された瞬間です。

それは、今から15年ほど前、まだ大学生だった頃です。あるご縁で、知り合いになった方がいました。私の倍以上の年齢の方でした。とても不思議な魅力を備えた方でした。

その方の家に遊びに行かせて頂き、好きな楽器を触っていいよ、と言われ、手にした二等辺三角形ウクレレみたいな楽器があって、興味の赴くままに、ちょっと弾いてみたんです。

そしたら、何も言わずにその方が壁越しに、ギターをポロンと奏で、私もまた、それに、2音ほど弾いて、そしてまたその方がギターを数音奏で、という感じで、なんか理屈とか抜きで、ただただお互いが話しかけるように弾く、そんな時間が少しの間、流れました。

そのあと、目が合って、でも何を喋るでもなく、笑いあって、その余韻に浸りました。

私はギターとかやったことなかったので、なんか、そういうことさせてくれるサポート力みたいなものがすごいなと感じたので、そんなことを話したら、その方は「あなたの奏でた音が心地よくて、自分も今弾きたいなと思った。こんなふうにしたのは初めてだ。」とおっしゃったんです。なんかものすごく嬉しかった。理屈抜きで、こんなにも感覚で感じあえる人がこの世にいたんだということに、ただただ驚いた。

そのあと、ただ、2人で寝転がって天井をあおいで、出会って間もないのに、初めて「心の底から安心する」という感覚を知って、自分でも驚いた。今まで自分が感じていた安心とは、比べ物にならない感覚だったから。でも、戸惑った。今まで感じた安心も、安心だったんだよね、と必死に解釈しようとした。

でも、この人となら、2人だけになってしまっても、生きていける。そう本気で思いました。


でも、付き合いが進むに連れて、いろんなことが浮き彫りになり、現実的なことで、お互いの家族や環境を受け入れられないことが想像以上に辛いことにも気づき、お別れするしかありませんでした。

今でも元気に生きていてくれたらいいなと思いつつ、そういう感覚的な開放感を感じさせてくれたことに、とても感謝しています。


色々思いだしたことを書き連ねてしまいましたが、また私は結構自分を閉じ込めているところがあるんだなと、ワークとフィードバックを通じて、感じることが多かったです。

自分をこわがらずに解放すること、また少しずつやっていきたいなと思います。

 

すーのつれづれ、はじめてみることにしました

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なかなか直接お会いできないお2人に会えて、最近モヤモヤしながらオーバーヒート状態だった私の脳内に、スーッと冷えた清々しい水が注がれる思いでした。

それを感じた帰り道、子どもたちのお迎えの前に寄ったヨーカドー。

うわ、夕焼けの色、きれいだなぁ♡

楽しかった。気持ちがよかった。そして、思い出した。

写真に急速にハマっていった中学生時代。夕焼けを見かけては、空が一番広く見える畑エリアに自転車を必死でこいで向かった。

そこに広がる風景は、いつも違っていた。色、雲の形、光。似ているようなときも、いつも違っていた。

ある日、部活の帰りに、いつもと違う空の色が見えて、車で迎えに来てくれた母に、急いであの場所に行ってほしいと連れて行ってもらった。


そこに広がっていたのは、燃えるような夕焼けだった。


まさに、字のごとく、燃えるような壮大な赤と様々な雲の表情が織りなす燃え上がる様子。

あんなに強烈に心と体が震えたことは、たぶん未だに他にないように思う。

完全に興奮状態で夕焼けを見つめ、夢中でシャッターを押した。

気づけば、フィルムが1本終わり、巻き戻しの音が響く中、さらに変化していく空の表情をただただ見つめていた。

ふと後ろから母の声がした。半ば呆れた表情で帰るタイミングを待っていた。

あれ?この心と体がビリビリするような感覚、みんな感じるものなんじゃないの?この感覚は、お母さんには今起きてないの?なぜ、今帰ろうと思えるの?

不思議でしかなかった。そこに居合わせた見知らぬおばあちゃんと、本当に今日はきれいだねぇ、そうですねぇ、と話しながらも、この感動と興奮の状態とは違う穏やかさを感じた。

なぜ、みんなそう感じていないのか、見慣れた景色なのか、なぜなのか、悶々としながらも、まだ続く興奮状態の余韻を味わいながら、絶えず変化し続ける空の表情を眺めていた。

燃えるような赤から、段々と紫へ近づき、その後鮮やかな青、そして濃紺、その素晴らしく豊かな色彩の変化に泣きそうになりながら、フィルムをもう1本持ち合わせていなかったことを悔やんでいた。

続きが写真には撮れなくても、この夕焼けを見ることができたことだけで、とても幸せなことだと思った。そして、付き合ってくれた母には、本当に感謝している。


それから、私はさらに夕焼け撮影にハマっていった。

あ、今日は来る、そう思ったらカメラ片手に(家のカメラ。一眼ではなく片手サイズの、オートのスイッチ入れるとウィーンと少しレンズ伸びて出て来るやつ。)、自転車をこいだ。

台風が過ぎ去った後の夕焼けが、一番空の表情が劇的に変化していくと気づき、台風が過ぎ去るのが待ち遠しかった。それもちょうど夕方前にそうならないと、面白い夕焼けには出会えないので、夜中に過ぎ去ってしまうと、さみしかった。

そして、空の表情が一度たりとも同じものがない、と知った。似たような色でも、雲の表情が違う、時期によっても見える色が違う、色の透明感や細やかなグラデーション、風の速度によって変化する雲の表情。

その圧倒的な自然現象に、敵わないと思っていた。生で見る感覚のほんの少ししか写真で伝えられない、そのもどかしさに切なくなりながら、それでも少しでもその瞬間をとどめておきたかった。

そして、本格的に写真を学びたい。そう思う気持ちが強くなっていきました。


懐かしい、あの熱い感動を、久しぶりに思い出しました。

「心が震える」そして、気づくと「体もビリビリと小刻みに震えている」、心と体は連携しているのだということを気づかされました。


あの頃、何がそんなに自分を突き動かしていたのか、不思議なくらいですが、とても幸せな経験です。

フィルムが終わってしまって、それでも諦められなくて、その場所に一番近いところに住む叔母の家へ走って、「フィルムありませんか?!あったらください!お願いします!」と頼み、それを握りしめて、続きの夕焼けを撮影したこともありました。笑。

その後、その叔母が実は大学時代に写真をやっていたことを教えてもらい、そのときの古い一眼レフカメラを譲って頂くことになろうとは、そのときは考えてもみませんでした。

その一眼レフカメラで撮り始めたのが高校入学直前くらい。なぜかみんな淡い印象になり、なぜかいつも同じところに線が入っていました。

写真部に力を入れている高校、という理由から選んだ高校。その写真部には「命の次にカメラが大切」という名言を持つ先生がいました。その後、恩師となりずっと私と関わり続けてくれているN先生。

その先生に、叔母から譲ってもらった一眼レフカメラを見てもらったら、写真の謎が解明されました。

長らくしまわれたままだったその一眼レフカメラはレンズにカビが生えてしまっていて、ほわーっと広がる白カビが常にソフトフォーカスをかけていて、線状に入った黒カビが常に同じところに線を入れていたのでした。笑。

それでも、私が本格的にやりたいと思っていることを知り、思い出の品を譲ってくれた叔母には感謝しています。そのカメラで、先生に教えてもらったいろんな技術を練習しました。これまた懐かしい。笑。

そして、こんな私に付き合ってくれた母にも。自分が子どもを持ってさらに、自分と違う感覚を持つ相手に寄り添えるって、すごいことだなと実感しています。


その後、高校に入り、近所の写真屋さんでバイトをして、お金をためて、自分の一眼レフマニュアルカメラを購入。今でもその子が一番の相棒です。子どもが生まれて久しく触れていないことが、申し訳ない。たまに空気に触れさせている程度。そろそろ、その時間を作ってみたりもしたいなぁ。

そう思いました。

って、最初から、長文すぎましたね。苦笑。

ブログになったと思ったら、余計に長く書きすぎてる気がする。苦笑。

これからも、ゆるりとお付き合い頂けたら嬉しいです♡

(このブログを思い切って始めるきっかけをくださったお2人に感謝を込めて♡)