すーのつれづれ

すーが日々思ったことを綴っていきます。

自分をこわがらずに解放するということ

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自分をこわがらずに解放するということ。

これは、自分が何才になっても、躊躇してしまっていることです。

私は小さい頃から、周りの友人や大人たちにも、変わってるねと、よく言われてました。

でも私には私が普通であって、何が変わってると言われるのか、よくわからなかった。

そういうことに言われ慣れて、自分をそのまま良しと受け入れられることはないんだとどこかで思っていました。

そのままではダメで、ある基準をクリアしないと、その評価にも入れてもらえない。

苦しかったろうなぁって思います。苦笑。

今思えば、いつ頃からだったか、人は自分の理解を超えるものに出会ったとき「変わってる」という分類にすることでやり過ごすところがあるんじゃないかなと思うようになりました。自分も含めて、ですが。そうじゃないと、心や頭がついていかないんじゃないかな、と。


この年末年始、実は、みつはしあきこさんというコーチングをされている方の講座やワークを受けられる機会に恵まれて、自分の中のいろんなものが浮き彫りに、そして、だだ漏れになりました。笑。

そのだだ漏れワークシートに、あっこさんがフィードバックをしてくださる、というお年玉特典に、ギリギリ間に合って、先日、頂きました♡。

子どもたちとオセロしたり家事したりの合間、合間に読み進めたのですが、、、途中、何度も大きな声をあげて笑ってしまいました。。。笑。

だって、まっすぐ刺さる言葉ばかりだったから♡そうですよね!あぁ〜、言われちゃった〜(笑)とか。それ、言われたかった言葉です!など、心の中で反芻してました♡

あまりにも、欲しい言葉のオンパレードだったので、あたし何を書いたんだったっけ、とワークシートを見返したら、まぁ、だだ漏れ。笑。あっはっは、こんなことまで書いてたんだっけ。笑。というくらい。

でも、そのワークシート、結構時間がかかっちゃんですが、楽しかった♡


これをきっかけに、大学受験の小論文を思い出しました。映し出される画像から、感じたことを書き綴る、というものでした。

そのときも、思うがままに書き綴った。冷静に考えれば、そこまで思い詰めなくてもいいわけなんですが、私はスイッチが入ると、イメージがどんどん先行していくところがあって、そのときも、画像に写るおばあちゃんがぐったりして自殺マシーンに手をかけている、このおばあちゃんの笑顔を見られるなら、私は何だってしてあげたい!と言い切るような文章を勢いのまま書き綴ったことを覚えています。

そのあとの面接では、先生方に冷静に「これは、スロットをしてるおばあさんなわけですが、あなたにはこの文章のように見えたのですか?」と言われ、「はい、そうです。その悲しみを思うと、いたたまれなくなりました。」とその後もベラベラ喋ったように記憶しています。苦笑。

半ば呆れたような、驚いたような表情の先生方を目の前に、私は喋り続けてました。笑。

その後、提出した作品集に対しての話も色々ありましたが、どうなることかと思ったら、無事合格したので、胸をなでおろしました。笑。


そう、私はこういうところがあるので、なかなか理解されにくかった。
だから、いつからだったか、私を理解してくれる人はいないもんだとどこかで思っていた。

それが、写真を通すと、感じたことが伝わることを知って、写真にのめり込んでいきました。

高校時代に、友人から言われて、すごく嬉しかった言葉があります。

「あなたの瞳でこの世界を見てみたい。」

びっくりしました。そんなふうに思ってもらえるなんて、考えもしなかったから。

彼女は、そのあとこう続けました。

「きっと今の私には見えていない素敵な景色が広がっているんだろうな。私の目には映らない素敵な世界を、あなたの瞳を通じて、私も見たい。」と。

彼女は、私が撮っていたスナップ写真をアルバムにして売ってくれと言いました。

ものすごく驚いたけど、嬉しくて、バイトしてた写真屋さんで店長が許してくれる時間を使って、色の調整をして少しこだわったカラー写真のL判でまとめた作品たちを、無印良品のフォトアルバムに入れて、タイトルを手書きで書いて、購入してもらいました。

今思うと、これが私の初写真集でした。

ちなみに、それを見た数人が私も欲しいと希望してくれて、3冊〜5冊くらい、作って買ってもらった覚えがあります。

なつかしい。

その友人たちは、今でもつながっています。なんか、言葉にできないものを感じることとか、説明できないものの素敵さを知っている人たちです。


そして、もうひとつ、思い出したのは、自分が生まれて初めて、本能的にいろんなものから解放された瞬間です。

それは、今から15年ほど前、まだ大学生だった頃です。あるご縁で、知り合いになった方がいました。私の倍以上の年齢の方でした。とても不思議な魅力を備えた方でした。

その方の家に遊びに行かせて頂き、好きな楽器を触っていいよ、と言われ、手にした二等辺三角形ウクレレみたいな楽器があって、興味の赴くままに、ちょっと弾いてみたんです。

そしたら、何も言わずにその方が壁越しに、ギターをポロンと奏で、私もまた、それに、2音ほど弾いて、そしてまたその方がギターを数音奏で、という感じで、なんか理屈とか抜きで、ただただお互いが話しかけるように弾く、そんな時間が少しの間、流れました。

そのあと、目が合って、でも何を喋るでもなく、笑いあって、その余韻に浸りました。

私はギターとかやったことなかったので、なんか、そういうことさせてくれるサポート力みたいなものがすごいなと感じたので、そんなことを話したら、その方は「あなたの奏でた音が心地よくて、自分も今弾きたいなと思った。こんなふうにしたのは初めてだ。」とおっしゃったんです。なんかものすごく嬉しかった。理屈抜きで、こんなにも感覚で感じあえる人がこの世にいたんだということに、ただただ驚いた。

そのあと、ただ、2人で寝転がって天井をあおいで、出会って間もないのに、初めて「心の底から安心する」という感覚を知って、自分でも驚いた。今まで自分が感じていた安心とは、比べ物にならない感覚だったから。でも、戸惑った。今まで感じた安心も、安心だったんだよね、と必死に解釈しようとした。

でも、この人となら、2人だけになってしまっても、生きていける。そう本気で思いました。


でも、付き合いが進むに連れて、いろんなことが浮き彫りになり、現実的なことで、お互いの家族や環境を受け入れられないことが想像以上に辛いことにも気づき、お別れするしかありませんでした。

今でも元気に生きていてくれたらいいなと思いつつ、そういう感覚的な開放感を感じさせてくれたことに、とても感謝しています。


色々思いだしたことを書き連ねてしまいましたが、また私は結構自分を閉じ込めているところがあるんだなと、ワークとフィードバックを通じて、感じることが多かったです。

自分をこわがらずに解放すること、また少しずつやっていきたいなと思います。