すーのつれづれ

すーが日々思ったことを綴っていきます。

すーのつれづれ、はじめてみることにしました

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なかなか直接お会いできないお2人に会えて、最近モヤモヤしながらオーバーヒート状態だった私の脳内に、スーッと冷えた清々しい水が注がれる思いでした。

それを感じた帰り道、子どもたちのお迎えの前に寄ったヨーカドー。

うわ、夕焼けの色、きれいだなぁ♡

楽しかった。気持ちがよかった。そして、思い出した。

写真に急速にハマっていった中学生時代。夕焼けを見かけては、空が一番広く見える畑エリアに自転車を必死でこいで向かった。

そこに広がる風景は、いつも違っていた。色、雲の形、光。似ているようなときも、いつも違っていた。

ある日、部活の帰りに、いつもと違う空の色が見えて、車で迎えに来てくれた母に、急いであの場所に行ってほしいと連れて行ってもらった。


そこに広がっていたのは、燃えるような夕焼けだった。


まさに、字のごとく、燃えるような壮大な赤と様々な雲の表情が織りなす燃え上がる様子。

あんなに強烈に心と体が震えたことは、たぶん未だに他にないように思う。

完全に興奮状態で夕焼けを見つめ、夢中でシャッターを押した。

気づけば、フィルムが1本終わり、巻き戻しの音が響く中、さらに変化していく空の表情をただただ見つめていた。

ふと後ろから母の声がした。半ば呆れた表情で帰るタイミングを待っていた。

あれ?この心と体がビリビリするような感覚、みんな感じるものなんじゃないの?この感覚は、お母さんには今起きてないの?なぜ、今帰ろうと思えるの?

不思議でしかなかった。そこに居合わせた見知らぬおばあちゃんと、本当に今日はきれいだねぇ、そうですねぇ、と話しながらも、この感動と興奮の状態とは違う穏やかさを感じた。

なぜ、みんなそう感じていないのか、見慣れた景色なのか、なぜなのか、悶々としながらも、まだ続く興奮状態の余韻を味わいながら、絶えず変化し続ける空の表情を眺めていた。

燃えるような赤から、段々と紫へ近づき、その後鮮やかな青、そして濃紺、その素晴らしく豊かな色彩の変化に泣きそうになりながら、フィルムをもう1本持ち合わせていなかったことを悔やんでいた。

続きが写真には撮れなくても、この夕焼けを見ることができたことだけで、とても幸せなことだと思った。そして、付き合ってくれた母には、本当に感謝している。


それから、私はさらに夕焼け撮影にハマっていった。

あ、今日は来る、そう思ったらカメラ片手に(家のカメラ。一眼ではなく片手サイズの、オートのスイッチ入れるとウィーンと少しレンズ伸びて出て来るやつ。)、自転車をこいだ。

台風が過ぎ去った後の夕焼けが、一番空の表情が劇的に変化していくと気づき、台風が過ぎ去るのが待ち遠しかった。それもちょうど夕方前にそうならないと、面白い夕焼けには出会えないので、夜中に過ぎ去ってしまうと、さみしかった。

そして、空の表情が一度たりとも同じものがない、と知った。似たような色でも、雲の表情が違う、時期によっても見える色が違う、色の透明感や細やかなグラデーション、風の速度によって変化する雲の表情。

その圧倒的な自然現象に、敵わないと思っていた。生で見る感覚のほんの少ししか写真で伝えられない、そのもどかしさに切なくなりながら、それでも少しでもその瞬間をとどめておきたかった。

そして、本格的に写真を学びたい。そう思う気持ちが強くなっていきました。


懐かしい、あの熱い感動を、久しぶりに思い出しました。

「心が震える」そして、気づくと「体もビリビリと小刻みに震えている」、心と体は連携しているのだということを気づかされました。


あの頃、何がそんなに自分を突き動かしていたのか、不思議なくらいですが、とても幸せな経験です。

フィルムが終わってしまって、それでも諦められなくて、その場所に一番近いところに住む叔母の家へ走って、「フィルムありませんか?!あったらください!お願いします!」と頼み、それを握りしめて、続きの夕焼けを撮影したこともありました。笑。

その後、その叔母が実は大学時代に写真をやっていたことを教えてもらい、そのときの古い一眼レフカメラを譲って頂くことになろうとは、そのときは考えてもみませんでした。

その一眼レフカメラで撮り始めたのが高校入学直前くらい。なぜかみんな淡い印象になり、なぜかいつも同じところに線が入っていました。

写真部に力を入れている高校、という理由から選んだ高校。その写真部には「命の次にカメラが大切」という名言を持つ先生がいました。その後、恩師となりずっと私と関わり続けてくれているN先生。

その先生に、叔母から譲ってもらった一眼レフカメラを見てもらったら、写真の謎が解明されました。

長らくしまわれたままだったその一眼レフカメラはレンズにカビが生えてしまっていて、ほわーっと広がる白カビが常にソフトフォーカスをかけていて、線状に入った黒カビが常に同じところに線を入れていたのでした。笑。

それでも、私が本格的にやりたいと思っていることを知り、思い出の品を譲ってくれた叔母には感謝しています。そのカメラで、先生に教えてもらったいろんな技術を練習しました。これまた懐かしい。笑。

そして、こんな私に付き合ってくれた母にも。自分が子どもを持ってさらに、自分と違う感覚を持つ相手に寄り添えるって、すごいことだなと実感しています。


その後、高校に入り、近所の写真屋さんでバイトをして、お金をためて、自分の一眼レフマニュアルカメラを購入。今でもその子が一番の相棒です。子どもが生まれて久しく触れていないことが、申し訳ない。たまに空気に触れさせている程度。そろそろ、その時間を作ってみたりもしたいなぁ。

そう思いました。

って、最初から、長文すぎましたね。苦笑。

ブログになったと思ったら、余計に長く書きすぎてる気がする。苦笑。

これからも、ゆるりとお付き合い頂けたら嬉しいです♡

(このブログを思い切って始めるきっかけをくださったお2人に感謝を込めて♡)